何をもって和更紗と定義するかは明確ではないようだが、我が家の型紙にも他の型紙とは一風違った異国風の雰囲気を持つものがある。更紗の特徴の一つにはその鮮烈な色彩があるようだが、我が家に染められた布が残っているわけではないので、どのような色合いだったのかは分からない。よって、文様の形態的な特徴で判断するしかないのだが、異国風の植物文様らしき一群があることは確かである。非常に曖昧ではあるが、ここではこれらの一群を和更紗として分類する。

合成画像は捺染を前提としている。更紗ということで、赤や茶色も使ってみた。

九州の和更紗といえば長崎更紗、天草更紗、鍋島更紗が挙げられるようである。我が家の和更紗型がいずれに属するのかは分からないが、私が天草のある資料館を訪れた際、我が家の和更紗型と全く同一の文様の布団地を目にしたことがある。近世までの物資運搬においては水運が主であり、巨大な内湾である有明海の沿岸地域は古来より水運が発達してきた。かつて柳川と天草は海路による往来・交易が盛んであったようで、柳川藩は天草から石材・海産物などを運んでいる。また、天草・島原の乱の後には、幕府が九州諸藩に対し天草への移民を命じており、天領となった後は海外交易や幕府・諸藩への金融(大名貸し)などで莫大な財を成した豪商も現れている。特に御領の石本家は、九州諸藩の御用商人として各藩の蔵物の販売業務などを行っており、薩摩藩への莫大な貸し付けの見返りとして琉球交易の権利を独占したり、柳川藩の干拓なども請け負っている。このような往来・交易の結果として、この二つの地域に共通の染織関連物が残っていたとしても、決して不思議ではないと思われる。

No.69 型紙
No.70 型紙
No.69 糊
No.70 糊
No.69-70 合成画像1
No.69-70 合成画像2
No.69-70 合成画像3